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日韓アイドルには「決定的な差」があるのか −「現代ビジネス」掲載記事を読んで−

 

やったね!ブログ更新のきっかけができました。

 

gendai.ismedia.jp

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こちらの記事を読みまして。
それはその通りと思う部分もある反面、正直「この人はK-POPこそ至高!J-POPは軒並み劣ってる!って言いたいのかなぁ」という印象を受けたため、ブログを書いている次第です。

 

だ〜〜いぶ長くなりますが、以下どんどん引用しながら色々書いてみたいと思います。

 

 

・「『IZ*ONE』とは一体何だったのか…2年半で見えた日韓アイドルの『決定的な差』」(以下前編)3ページ目「(IZ*ONEのダンスが緩急をつけた振り付けをしている話の中で)日本のアイドルは、(中略)ユニゾンで踊り続けるものが多い。それはパフォーマンスにコストをかけないビジネスモデルの結果でもあるが、“一致団結”ばかりを目指すヨサコイソーランの悪癖にも見える」

 

簡単に低コストで作れるという部分はその通りなのですが、これはもう少し複雑に理由があると考えます。

まず、緩急をつけて綺麗に踊るのは難しいということ。

多くの人が知る通り、日本のアイドルは韓国のような練習生期間がないか、あっても短いorレッスンが少ないのが普通です。
その短いレッスン期間と実践期間しか持たない子たちが、あれだけ緩急のあるダンスを踊るのは単純に難しい。*1

そんな子たちに「ちゃんとダンスに見える」ダンスを踊らせようとすると、必然的に「みんな同じように」「同じ速度で」「直線的に踊る」ことになります。イメージとしては組体操とかラジオ体操でしょうか。
ちなみにいわゆる「ドゥンバキ」も、基本的にはこの理論を応用したものといえます。

 

この作戦も「低コストで若い子を経済的に消費するためのシステム」の一環ではあるでしょう−つまり、韓国ほどコストをかけて人を育てず、安かろう悪かろう的ノリでアイドルを生産しているとも言えます−が、注にも書いたように、これはそもそも「アイドル」という語の指すものが日韓で違うためとも言えそうです。
また、そのことを考えれば、これだけで「ヨサコイソーランの悪癖」としてしまうには無理があるようにも思えます。

 

もう一つ、日本のアイドルでベースになる「みんなで盛り上がるための」振り付けという性質は見逃せません。
ここはあえて「カラオケボックスのための振り付け」、あるいは「ライブハウスのための振り付け」とでも言ってみましょうか。

日本のアイドルの場合、全編通してみんな踊れる!というのが十分セールスポイントになる土壌でもあり、シンプルな振り付けで最初から最後まで通すのは悪くない作戦です。

なお、韓国のアイドルも「ポイントダンス」はユニゾンが多いということと、みんなが踊れるユニゾンのポイントダンスはバズりやすいということは付け加えておきます。Rollin’なんかその典型ですし。

 

ちなみにカル群舞は、単純に「超シンクロしたユニゾンダンス」だけを指す用語ではありません。
ピタリと揃えてフォーメーションを変えられれば、十分カル群舞です。

例えばセブチは「目まぐるしくフォーメーションを変え」るダンスをデビュー当初から行っていますし、そのダンスは「カル群舞」とメディアでも称されます。
その意味ではIZ*ONEも、カル群舞を超えた何かという訳ではなく、シンプルにカル群舞を実行していると言って差し支えないかと思います。

 

あと揚げ足を取るように聞こえれば申し訳ないですが、
欅坂のサイマジョとかラスアイの青春トレインの振り付けは、それこそ大人数を利用してフォーメーションで画に変化をつける工夫はされていますし、
ハロヲタ表現ですが)「サヤシステム」期のモーニング娘。のフォーメーションダンスは、「全員ユニゾン」を前提としたアイドルダンスのフォーメーションとしては相当複雑で繊細です。

とにかく日本のアイドルも(Kドルほど難解ではなくとも)単におニャンコ的な「ユニゾンで踊り続ける」ものばかりではないということは一応補足したいところです。*2

 

 

・前編4ページ目「(韓国語/日本語曲の水準の違いは)視聴/再生回数を見れば一目瞭然」

 

IZ*ONEの日本語曲は世界標準な作りになっていないというところは全力で同意しますし、5ページ目にあるような「立体感」という指摘も共感します。

とはいえ、もともと「イル活曲は伸びない」というのはKドル一般に言える事実です。日本人気最強クラスのTWICEでさえ、2020年6月19日公開の『Fanfare』のMV再生回数が約5540万回なのに対し、10月26日の『I CAN’T STOP ME』は約2億9650万回(2021/05/10時点)。
公開から11ヶ月時点での日本語曲と6ヶ月半の韓国語曲で、再生回数におよそ5.4倍の差がつきます。

 

これは二つの理由が考えられるでしょう。

1つはまさに「クオリティが低いから」です。しかし、少なくとも『Fanfare』に関しては、後述の『ご機嫌サヨナラ』のように浮いたボーカルディレクションにはなっていません。
水準として差があるとすれば、それはJ-POP的なメロディーが世界的に見て「古臭い」という話であり、後述のような「能力」問題とは直接繋がらないでしょう。

 

もう一つ、より重大と思われる理由は、世界中のオタクが、「日本での活動より韓国での活動の成績を重視しているから」であり、
韓国アイドル界が「(基本的に)韓国の活動で成績を残せないとクビを切られる」世界であるから、ということです。
だからこそ、機械に頼ったり、ファン同士で「サポート」したりしてまで再生回数を増やします。

日本の楽曲で同レベルのバズを目指す必要性は、正直ありません。

もし日本語曲も同様に重視されるのだとしたら、日本語曲も自作しているセブチの場合、日本語曲も同じだけ再生されなければいけないはずです。クオリティは日韓で同じである以上、日本語曲が「低クオリティだから」聴かないという理論は成立しません。
しかし、現実にはそうなっていないことからも、日本語曲を韓国語曲ほど重視しないオタクたちの姿勢は伺えます。

 

ここでIZ*ONEに話を戻すと、2020年10月7日に出した『Beware』のMV再生回数がおよそ1200万回、同年12月7日に出した『Panorama』がおよそ5210万回であり、
現時点で再生回数の差は4.3倍であることを考えると、むしろIZ*ONEの日本語曲(もしくは日本のオタク?)は「よくやってる」方だと言ってもいいくらいでしょう。

この数字を一概に「J-POPのクオリティが低い」ことの証拠としてしまうのは、少々危険ではないでしょうか。

 

 

・前編6ページ「(日韓の楽曲クオリティの差は)『能力』説だ。端的に言って、IZ*ONEの日本語曲の制作スタッフに能力的な問題がある可能性」

 

AKS(現ヴァーナロッサム)が「コストをかけない」で楽曲を制作するために、アシスタントレベルのエンジニアを雇っているのであれば、もちろんこういった問題は起きるでしょう。
そして私は、IZ*ONEの日本側制作陣がどの程度のキャリアを持つ集団なのかまでは知りません。
また、例として挙げられている『ご機嫌サヨナラ』日本語版のミキシングに関しては、私もさすがに酷いなぁとは思っています。

とはいえ、一応それなりのお金をかけて売るものを素人レベルのエンジニアに作らせるというのは考えにくいように思います。つまり、IZ*ONEのエンジニアも一応それなりの「プロ」ではあるはずです。

 

では、日本の「プロ」は韓国のプロに比べて、能力不足なのでしょうか。

例えば5ページ目で指摘されている、低音とリヴァーブの弱さに起因する「立体感のなさ」は、本当に「日本語曲の制作スタッフの能力の問題」なのでしょうか。

 

YOASOBIの『夜に駆ける』を例に挙げてみると、特にサビ部分において、音量的にもリバーブ等の加工的にも、ヴォーカルとトラックがよく調和していると言えるでしょう。(少なくとも、日本語版『ご機嫌サヨナラ』のような「浮いた」ヴォーカルではないように思います)

いや、むしろこれだけ低音もしっかりしていて、声にもエフェクトがかかってスルッとBGM的に聞けるにも関わらず、日本語がしっかり伝わるという点において名ディレクションです。
(韓国語がわかる・わからないに関係なく、『GOKIGEN〜』の方が『夜に駆ける』に比べて言葉が「埋もれている」ように感じる方は私の他にもいるかと)

つまり、日本にも「ハイレベル」な曲に仕上げられるエンジニアは存在していると言えます。

 

以上のような点から、日韓楽曲における「質」の違いが生じる仮説として挙げられるべきは、
「制作の上流にいるスタッフの『好みを含めた音楽的センスおよび能力、または聴き手に対する真摯な姿勢』」が不足しているためか、
「その気になればハイクオリティな楽曲を作れるスタッフにきちんとした対価を払っていないため、それ相応のレベルの曲しか作ってもらえていない」ため、ではないでしょうか。

 

もちろん記事タイトルや本文中にもあるように、「アイドル」である「IZ*ONE」の話をしているので、筆者も決して「非アイドル」の音楽作りについて言及している(ましてや「非アイドル」も含めてJ-POPは残念と言いたい)わけではないかもしれません。
しかし、7ページ目にある「閉鎖的なJ-POP」という言葉や後編の話の流れを読んでいると、日本全体の「制作スタッフの能力」にあるという主張にも感じられ、誇張した/誘導的な表現であるような印象を受けました。

 

  

 

 

・「IZ*ONE解散…宮脇咲良が世界で活躍するには『韓国に戻る』しかない」(以下後編)3ページ目「最近のK-POPではかならずしもIZ*ONEでのヒットがピークになるとは限らない」「一つのグループで活動を終えても、べつのグループで新たに活躍するケースが珍しくない」

 

この「活躍」がどのレベルを指すかは曖昧ですが、前半から推測するに「IZ*ONEでの活動時を超える人気を得る」ということでしょうか。

しかし、Kドル界隈の中ではむしろ、「プデュ出身者でプデュ以上に成功したのはチョンハとニュイだけ」と思われる向きが強いのではないかと思います。(PRISTINが解散していなければ、PRISTINを含めることもできたかもしれませんが)
実際、その他プデュデビュー組が現在プデュ当時以上に売れているかと言われれば、厳しい答えを出さざるを得ません。

 

記事はあくまで、ピークがこれからやってくる「可能性がある」という言及の仕方ではありますし、可能性「だけ」なら当然十分にあるとは思いますが、
なんとなく読者を「韓国は成功の土壌がある国、日本はない国」という思考に引っ張っているような書き方に思えてしまい、引っかかりました。

 

 

・後編5ページ目「日本のアイドルのはるか先を行く強い女性像」「K-POPのガールクラッシュムーヴメントは、従来の『アイドル』概念をさらに拡張させた」

 

確かに秋元が得意とする「かわいくってちょっとおバカな恋愛脳少女」は、現在のK-POPでは(というか過去のK-POPでもほとんど)見られません。
そして秋元の理想形とするその少女イメージは、いまや同世代が共感できるものでも、世界が共感するものでもありません。(私自身、「秋元的少女像」はさっさと無くなってほしいと思っています)

 

それと同時に、ガルクラ=K-POPでもない、と私は考えます。
Kドルの主流がガルクラ=「日本のアイドルのはるか先を行く」一方、ある種従来的な女性像=かわいらしい女の子イメージも、引き続きK-POPアイドルには求められているためです。
TWICEやレドベルはガルクラ的でない曲をやったとしても売れるし、最近ではWeeeklyが「正統派アイドル」イメージでグングン伸びてきています。

 

そして、そんな「正統派」で爆発的に伸びたアイドルこそ、IZ*ONEだったと言えるでしょう。

IZ*ONEは前編で指摘されているように、クラシックバレエを思わせるしなやかで「女性的」な振り付けを得意としていますし、衣装も最近のKドルでは珍しいくらい、チュールたっぷりフワフワドレスなものをよく着ていたイメージがありました。
ガルクラが主流と言える状況にある今、「清純派」で「正統派」な路線で売れた貴重な例と言えるでしょう。

 

Kドル(というか韓国という国のビジネスの傾向)自体、「1つ流行すればみんなそれに乗っかる」スタイルで動きやすいため、歴史的に見れば清純路線、セクシー路線、ガルクラ路線と「アイドル概念の拡張」が行われてきた側面はあるものの、
むしろ「ガルクラ方面に膨張を続けていた韓国女性アイドルの世界に待ったをかけた」のがIZ*ONEであり、「日本のアイドルのはるか先を行く強い女性像」にアイドル像を「アップデート」させた韓国は素晴らしい!日本は「少女」なアイドルばかりで古い!という単純な二項対立ではないと考えます。

 

また、「性的な媚び」が歌詞を指しているのか、水着などの衣装を指しているのかわかりませんが、少なくとも記事中で言及されている歌詞という着眼点で言えば、女→男に媚を売るアイドルばかりが日本のアイドルのスタンダードであるかのように括るのは乱暴だと考えます。
それこそ記事中にも指摘されているように、つんくさんは昔から「強くいたい、けど弱るときはそりゃあるべ」な女子を描きつづけていましたし、なんせ急に地球の平和を本気で願い始めたりするくらいですから。(あ、急にさん付けはズルですかね?でも論文じゃないのでつんくさんにはさん付けさせてください、すみません)

 

繰り返しになりますが、これは「秋元的少女像」を肯定するものではありませんし、今後少女たちが目指したい/消費者が応援したいアイドルの在り方として「秋元的」なものは忌避されていくだろう、ということは強調しておきます。

 

 

・後編6ページ「(IZ*ONEの日本人メンバーは今や)パフォーマンスのレベルが高すぎるために、日本では完全に浮いてしまう」

 

最後に「指摘」じゃなくて感想でごめんなさいね…正直「日本のアイドル舐めんじゃねえぞ」と思いました。

 

いや、言いたいことはわかるんですよ。日本アイドルのスキル平均点は、韓国アイドルの平均点の足元にも及ばないという言い方は成立し得るでしょうし、少なくとも3人が古巣に戻ったところで、(スキル以外の面も含めた)妬み嫉みで却って苦労するなんて可能性はあるでしょう。(NGTや欅坂の件を知っているとつい「苦労しそうだな〜」と思ってしまう…)
それに、せっかくあのレベルについていけるだけスキルアップしたのにAKBの「みんなで踊れる」ダンスに逆戻りするのがもったいないという気持ちはわかります。*3

しかし、「日本では完全に浮いてしまう」という言い方に、日本で・時に限られた環境で必死に頑張る子たちに向けた悪意を感じてしまい、モヤモヤが募るのです。

 

また、韓国ではソロアーティストや俳優になる手があると述べているのに対し、日本で3人がAKB(ないしアイドル)以外のアーティストとして活動する手段が書かれていないことにも疑問を覚えます。

日本に戻り、よりマネジメントに優れた事務所に所属しなおして日本拠点にアーティスト活動をするもよし(そのために十分なスキルとファンは持っているでしょうし)、
今は3人が「アーティスト」としてやる場がないというなら、3人自身が事務所を立ち上げるもよし(それならそれで、日本で手伝いたいスタッフも日韓両側から1人や2人出てきそう)。
JO1がいるLAPONEやOrβITのPresent Labelに所属する手なんかもアリですよね。あの事務所なら拾ってくれそうだし。

 

その後の記事の流れからして、「日本のアイドル界/芸能界は3人を生かしきれない」から「韓国に戻るしかない」と主張したいのだろうと思います。
また私自身、今後の日本市場縮小/海外への人材流出による業界全体の体力低下に備え、日本の(アイドル市場を含む)音楽市場が覚悟を決める時は来た、という考えには賛成です。

しかし、「そんな弱い日本は見捨てて韓国に行かなきゃ世界は見えないよね」で済ませていいのでしょうか。
私はせっかくなら、3人が日本で新たにアーティスト活動を行い、NiziUやJO1と共に、日本の芸能界を変えていく、そしてわざわざ「グローバル化」を考えずとも海外から求められる存在になる/そんな存在が生まれるきっかけになることを期待したいです。
(もちろんそれには5年10年と時間がかかるはずですし、その間に簡単に消えてしまう程度のスキルとカリスマ性であるなら、さっさと韓国に戻って活動すべきかもしれませんが。あと当然本人たちが韓国でやりたいなら話は別ですよ)

なお「アイドル」とは何か?「アーティスト」とは明確に違うのか?というところはだいぶややこしい問題になってくるので、ここでは割愛します。本気でいろんな文章引用しないと書けないレベルの問題だからね。

 

 

 

さて、なんだかたくさん書いてしまいましたが、この記事を読む中で「歴史が巡っているな〜」と感じたので、それについてもちょっと書いてみます。小声で。

 

輪島裕介『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』という本をちょうど読み終わったところなのですが、この本では「演歌」のジャンル化について、そしてそれが「日本の心」として結び付けられていく過程を紐解いています。

「演歌」が「日本の伝統」というのは今や当然のように言われていますが、実際には「西洋由来」の音楽や時代の混沌の中で生まれた多様な音楽が含まれており、それが半ば無理矢理な理論で「演歌」とグループ化されていること。
その中で、「演歌」は伝統であり、アイドルやらフォークやらとは違う「日本の伝統」だという言説が作られていったこと。
さらに、昭和には演歌と明確に違うものとされていた「歌謡曲」やら「ニューミュージック」やらが、十把一絡げに「昭和歌謡」として「J-POP」と対比されるようになり、「昭和歌謡」全体が「日本の伝統」とされる言説が現れ出したこと。

この辺りまでが、輪島が2010年に書いた内容です。(その後出た『踊る昭和歌謡』や近年の論文は未読なので、10年代以降についてどう分析しているかはわかりませんが)

 

とにかく、かつて新しかったり西洋風だったりしたものが、ほんの数十年で「伝統」に絡め取られていく様子を読んでいるうちに、
今後K-POP式のアイドルがアイドルの中心になり、ボカロP由来な音楽と共に若者音楽の基本になる日が来たら、今言う「J-POP」は「昭和歌謡」と合わせて「日本の伝統」扱いされることになるのかなぁ…と思ったりしました。

うん、数十年後、また研究の世界に戻っていたりしたらそれで論文書きますね(?)

 

 

 

ということで、
そんな単純に日本のアイドルと韓国のアイドル/J-POPとK-POPを簡単に対比して「これが決定的な違いです!」と言うことはできない、と結論づけて、こちらのブログはシメたいと思います。

ご静聴ありがとうございました!!!(???)

 

 

 

*1:これは持論ですが、こういった日韓のアイドルの違いは、そもそも「アイドル」という語で指すものが違うからであり、日本のアイドル=「身近な可愛い子」像(阿久悠の言葉を借りれば「日常性のスター」であるアイドル像)と、韓国のアイドル=「強い憧れのスター」像との違いがはっきり出ている部分だと考えています。
余談ですが、実は日韓アイドルの違いにおける文化的背景的なテーマで卒論書いてるので、そのうち(修士卒業したくらいのタイミングで?)それもブログにしたいな。

*2:ちなみに私はハロヲタではありますが以前ほど熱心には応援できていませんし、秋元が後ろにいる系のグループは正直好きではありません。それでもサイマジョのフォーメーションの組み方などはすごいなぁと思っています

*3:繰り返しになりますが、そもそも「アイドル」という言葉が意味するもの自体、日本と韓国で大きく違う−現状としても歴史的に見ても−ため、同じ「アイドル」のレベルとしての比較が成立しないと私は考えていますが、ここではひとまず置いておきます。